こんにちは。ヨウヘイ(プロフィール)です。
今回はリトアニアの悲しい歴史についてお話したいと思います。世界史などで習った方もいるかも知れませんが、リトアニアは過去ナチスドイツや旧ソ連から領土を支配されていた時代があります。
リトアニアは2018年に独立100周年を迎えています。しかし、それは第1次世界大戦後1918年に領土を回復してから100年という意味で、実際にはそれ以降にも幾度も領土を侵略されていました。
目次
リトアニアの歴史
リトアニアは地理的にヨーロッパの一番東に位置しています。つまり、ロシア(旧ソ連)とヨーロッパの境目になっています。かつて勢力を強めていたナチスドイツやロシア(旧ソ連)では、自国領土の拡大のためにもリトアニアという位置は是が非でも抑えておきたかったのでしょう。
現在でも各国で境界線上での争いはつきませんが、ヨーロッパ各国が激しく争った第1・2次世界大戦中にはその舞台の一つがリトアニアだったという感じです。
- 1009年 文献に初めてリトアニアの国名が載る
- 1009年〜 1400年代にはヨーロッパ最大の勢力となる
- 1569年 ポーランド・リトアニア共和国が誕生
- 1772年 大半がロシア帝国領に
- 1831年 1回目の蜂起が失敗に終わる
- 1863年 2度目の蜂起が失敗に終わる
- 1918年 リトアニア共和国が誕生
- 1940年 旧ソ連が侵略・支配(〜1941年)
- 1941年 ナチスドイツが侵略・支配(〜1944年)
- 1944年 再度旧ソ連が侵略・支配(〜1990年)
- 1990年 リトアニア独立革命によりソ連から独立
各国が覇権争いをする中、リトアニアは時の強者によって自国の権利や自由を弄ばれる時代が続きました。
KGBジェノサイド博物館


リトアニアのビリニュスには、過去の悲惨な歴史を風化させてしまわないためにも、その時代の様子を知るための博物館があります。
それが「KGBジェノサイド博物館(Museum of Genocide Victims)」です。
「KGBジェノサイド博物館」は、ナチスドイツが収容所として使用し、その後は旧ソ連KGBの前身である「内務人民委員部」が諜報活動等を目的などに実際使用していた建物です。リトアニアが独立した1990年まで約50年の間、この建物では大量のリトアニア人(ユダヤ人)の収容・殺害等が行われていました。
リトアニア独立革命で独立するまでの間、計24万人ものリトアニア人(ユダヤ人)が虐殺されたと言われています。
当時は誰も近寄りたくないような場所だったに違いありませんが、現在ではKGBを始めナチスドイツ支配時代も含めたリトアニア暗黒時代の歴史を知ることのできる世界的にも有名な博物館となっています。

KGBジェノサイド博物館ギャラリー
博物館の中は当時のままの状態で残っている箇所が多く、今でもその時の雰囲気がビンビン伝わってきました。正直、拷問部屋に入るのが少し怖く感じるくらいです。



まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は観光名所とは言えないかもしれませんが、現在の平和なリトアニアが出来上がるまでの歴史について少しでも知っていただきたく記事にしてみました。
リトアニアにはキレイな場所や楽しい場所もたくさんあって、観光に訪れる方の大半がそういった場所を選択されると思います。ただし、つい数十年前の現地人たちがどんな思いで生活していたかを知ると、またそういった場所に対する見方も変わってくるのではないでしょうか。
歴史について興味のある方や、リトアニアについてもっと詳しく知ってみたいという方はぜひ訪問してみてください!
- 場所 Aukų g. 2A, Vilnius
- 連絡先 (8-5) 249 8156
- 入場料 無料
- 開館日 水〜日(月・火曜日閉館)