1. 歴史的背景:ソ連支配の苦難と独立への「人間の鎖」

共通の悲劇が育んだ「運命共同体」としての絆
バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)は、言語も民族的ルーツもそれぞれ異なります。エストニア語はフィンランド語に近いウラル語族ですが、リトアニア語とラトビア語はインド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属しており、文化的な背景には明確な違いがあります。
それにもかかわらず、なぜこれほど強固な結束が生まれたのでしょうか。その答えは、20世紀に経験した「国家消滅の危機」という共有体験にあります。現在の協力関係は単なる隣国同士の親睦ではなく、生存戦略としての同盟なのです。
独ソ不可侵条約と「消された国々」
三国の運命を決定的に変えたのは、1939年8月23日にナチス・ドイツとソビエト連邦の間で締結された「独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)」でした。この条約に含まれていた秘密議定書により、バルト三国はソ連の勢力圏とされ、翌1940年に事実上併合されました。
地図上から独立国としての地位を奪われ、多くの市民がシベリアへ抑留されるなどの苦難を味わいました。この「不法な占領と併合」に対する消えない記憶と怒りが、半世紀後の独立回復運動における強烈な原動力となったのです。
世界を震撼させた「人間の鎖(バルトの道)」
ソ連の支配下にあって50年が経過した1989年8月23日、独ソ不可侵条約締結からちょうど50周年の日に、世界史に残る非暴力の抵抗運動が行われました。
それが「バルトの道(人間の鎖)」です。
- 参加人数:約200万人(当時の三国の総人口の約4分の1)
- 規模:ヴィリニュス(リトアニア)~リガ(ラトビア)~タリン(エストニア)を結ぶ約600km
三国の市民は手と手をつなぎ、長大な列を作って「自由」と「独立」を訴えました。SNSも携帯電話もない時代に、ラジオと口コミだけでこれだけの動員を実現した事実は、彼らの結束の固さを物語っています。約600kmにわたり途切れることなく続いた人々の列は、物理的な鎖以上に強固な「意志の鎖」として国際社会に独立への渇望を知らしめました。
「歌の革命」とリトアニアのリーダーシップ
「人間の鎖」と同時期に展開されたのが、歌うことで民族のアイデンティティを確認し、団結を示す「歌の革命」です。ソ連当局によって禁止されていた民族の歌や国歌を、数十万人が広場に集まり合唱しました。
「彼らは戦車に対して、歌で立ち向かったのだ」
この非暴力による抵抗は、やがて具体的な政治行動へと結実します。中でもリトアニアは三国の中で先陣を切る役割を果たしました。1990年3月11日、リトアニアはソ連の構成共和国として初めて「独立回復宣言」を行い、ソ連崩壊へのドミノ倒しの最初の1ピースとなったのです。
その後の1991年、ソ連軍によるヴィリニュスのテレビ塔制圧(血の日曜日事件)などの流血の惨事を乗り越え、三国は悲願の完全独立を達成しました。この「血と歌と鎖」で勝ち取った自由の記憶こそが、現在のリトアニアおよびバルト三国が対ロシア外交で見せる毅然とした態度の根幹にあります。
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2. 現代の協力関係:安全保障とインフラで結ばれた運命共同体

安全保障:NATOの最前線としての結束
かつて「人間の鎖」で精神的な連帯を示したバルト三国は、現在、より実務的かつ緊急性の高い「安全保障」という絆で結ばれています。2004年のNATO(北大西洋条約機構)およびEUへの同時加盟は、三国にとって西側諸国の一員となるための決定的な通過儀礼でしたが、2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、その協力関係は新たなフェーズに入りました。
三国の安全保障協力には、以下の顕著な特徴があります。
- 対ロシア強硬姿勢の共有: 三国は人口比でのウクライナ支援額が世界トップクラスであり、EU内でも常に対ロシア制裁の強化を主導しています。
- 防衛費の増額: 各国ともGDP比での国防支出をNATO目標の2%を大きく上回る水準(3%近く、あるいはそれ以上)へ引き上げる方針を固めています。
- 情報の共有と連携: リトアニア、ラトビア、エストニアのいずれか一国への脅威は、即座に他二国への脅威と見なされる「不可分の安全保障」体制が確立されています。
エネルギーとインフラ:ロシアからの完全な「自立」
現代の協力関係において、軍事と同等に重要なのが「インフラの西側化」です。ソ連時代の遺産であるインフラ網からの脱却は、三国の独立を完成させるための最後のピースと言えます。
エネルギー安全保障(BRELL離脱)
バルト三国は長らく、ロシア・ベラルーシと共有する電力システム(BRELLリング)に依存してきましたが、これはエネルギー安全保障上の大きなリスクでした。現在、三国は協力して2025年2月にロシアの送電網から完全に離脱し、欧州大陸の送電網と同期するという歴史的なプロジェクトを完遂させようとしています。これにより、エネルギー供給を政治的な武器として使われるリスクを排除します。
Rail Baltica(レール・バルティカ)プロジェクト
現在進行中の最も象徴的なインフラ協力が、タリン(エストニア)からリガ(ラトビア)、カウナス(リトアニア)を経てポーランド国境へと至る高速鉄道「Rail Baltica」の建設です。
専門家の視点: 「Rail Balticaは単なる観光や経済のための鉄道ではありません。ソ連時代の『広軌』から欧州標準の『標準軌』へと線路幅を変えることは、物理的にロシア圏から離れ、欧州と一体化することを意味します。また、有事の際にNATO軍の物資を迅速に輸送する『ミリタリー・モビリティ(軍事移動性)』の要としても機能します。」
この鉄道網の完成は、バルト三国が「陸の孤島」から脱し、西ヨーロッパと物理的に直結する大動脈を手に入れることを意味します。
このように、現代のリトアニアとバルト近隣諸国の関係は、単なる友好国という枠を超え、インフラと安全保障によって運命を共有する強固な同盟関係へと進化しているのです。
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3. 【2026年最新】日本人旅行者が知っておくべき治安とアクセス事情

ロシア情勢と現地の治安:旅行者が抱く「誤解」と現実
ニュースでバルト三国の名前を聞く際、多くは安全保障やロシアとの緊張関係に関するものです。そのため、「旅行に行っても大丈夫なのか?」と不安を抱く日本人の方も少なくありません。しかし、2026年を見据えた現時点において、一般観光客が巻き込まれるような危険性は極めて低く、市民生活は非常に平穏に営まれています。
外務省の海外安全情報においても、危険情報は発出されておらず、むしろスリや置き引きへの注意が必要な西欧の大都市よりも治安が良いと感じる旅行者が多いのが実情です。
専門家の見解:
「バルト三国はNATO加盟国であり、ウクライナとは安全保障の前提条件が根本的に異なります。国境付近での政治的な動きはありますが、ヴィリニュス、リガ、タリンといった主要観光都市においては、深夜の独り歩きを避けるといった基本的な海外旅行の注意を守れば、女性の個人旅行でも十分に楽しめる安全な地域です。」
日本からのアクセス:直行便なき後の最適ルート
日本からバルト三国への直行便は2ウクライナ情勢の影響によるロシア上空の飛行制限もあり、以前よりも飛行時間が長くなっている点には留意が必要です。
2026年の旅行計画において、推奨されるルートは主に以下の2つです。
- フィンエアー(ヘルシンキ経由):
日本から最短でバルトエリアへ到達できる王道ルートです。ヘルシンキからタリン(エストニア)へはフェリーで渡ることも可能(約2時間)で、周遊旅行のスタート地点として最適です。 - LOTポーランド航空(ワルシャワ経由):
リトアニアの首都ヴィリニュスへ向かう場合に特に利便性が高いルートです。運賃が比較的リーズナブルであることも魅力の一つです。
現地でのコミュニケーションと言語事情
バルト三国を旅する際、言語の壁を過剰に心配する必要はありません。特に都市部や観光地では、若い世代を中心に流暢な英語が通じます。
一方で、歴史的背景に基づいた「言葉の選び方」には配慮が必要です。
- 英語: ホテル、レストラン、公共交通機関ではほぼ問題なく通じます。
- ロシア語: 年配の世代には通じますが、ソ連時代の記憶や昨今の国際情勢から、あえてロシア語の使用を避ける傾向にある現地の方もいます。挨拶は現地の言葉(リトアニア語の「ラバス」、エストニア語の「テレ」など)を使い、会話は英語で行うのが最もスマートで好感を持たれます。
決済とインフラ:進むキャッシュレス化
バルト三国、特にエストニアは世界有数のIT先進国として知られていますが、リトアニアやラトビアも同様にデジタル化が進んでいます。
- クレジットカード: ほとんどの場所でタッチ決済(コンタクトレス)が可能です。市場の屋台や少額のカフェ利用でもカードが使えるため、現金のユーロを持ち歩く必要は最小限で済みます。
- 配車アプリ: 「Bolt(ボルト)」というエストニア発の配車アプリが三国全土で普及しており、タクシー移動が非常に安価かつ安全に行えます。
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4. データで比較する三国の個性:リトアニア・ラトビア・エストニアの違い

一括りにはできない「三国の個性」:経済・文化・民族構成の比較
日本国内では「バルト三国」として一括りに語られがちなリトアニア、ラトビア、エストニアですが、その内実は「言語も文化も経済戦略も異なる3つの独立国」です。
地理的に隣接し、ソ連からの独立という共通の歴史を持ちながらも、それぞれが独自の生存戦略を描いています。ビジネスや観光で現地を訪れる際、この「違い」を理解しているか否かで、見える景色は劇的に変わるでしょう。
以下の表は、三国の基本的なデータを比較したものです。
| 項目 | リトアニア (Lithuania) | ラトビア (Latvia) | エストニア (Estonia) |
|---|---|---|---|
| 首都 | ヴィリニュス | リガ | タリン |
| 人口 | 約280万人 (三国最大) | 約188万人 | 約136万人 |
| 文化・宗教 | カトリック中心 ポーランドとの結びつき | プロテスタント・カトリック混在 ドイツ文化の影響 | プロテスタント(無宗教多い) フィンランドに近い |
| ロシア系住民比率 | 低い(約5%) | 高い(約25%) | 高い(約24%) |
| 国家戦略の個性 | 外交の切り込み隊長 (対露・対中強硬姿勢) | バルトの物流・産業ハブ | 世界屈指の電子国家 (IT・スタートアップ) |
1. リトアニア:独自の外交路線を貫く「地域の大国」
三国の中で最も人口が多く、国土も広いのがリトアニアです。歴史的にポーランドとの連合王国時代が長かったため、カトリック文化が根付いている点が他の二国と大きく異なります。
ロシア系住民の比率が約5%と比較的低いため、国内の民族的摩擦のリスクが比較的少ないという特徴があります。これにより、政府は強力なリーダーシップを発揮しやすく、近年の「台湾との関係強化」や「対ロシア制裁の主導」に見られるような、価値観重視の外交を展開する基盤となっています。
2. ラトビア:バルトの要衝と多民族社会
地理的に三国の真ん中に位置するラトビアは、首都リガが「バルトのパリ」と称されるほど美しく、三国全体の航空・物流のハブとして機能しています。
特筆すべきはロシア系住民の比率の高さです。ソ連時代に工業化の中心地として多くの労働者が移住した背景があり、現在もリガ市内ではロシア語が頻繁に聞かれます。このため、社会統合(インテグレーション)が国家の重要課題であり続けていますが、同時に多様な文化が交差するコスモポリタンな魅力も持ち合わせています。
3. エストニア:北欧を目指すデジタル先進国
エストニアは、民族的・言語的にフィンランドに非常に近く、「バルト」という枠組みよりも「北欧(ノルディック)」の一員としてのアイデンティティを強く志向しています。
Skypeを生んだ国としても知られ、行政サービスの99%がオンラインで完結する「電子国家(e-Stonia)」としてのブランドを確立しました。小国であるがゆえに、効率化とIT化に国家の存亡をかけて取り組んだ結果、一人当たりのユニコーン企業数(評価額10億ドル以上の未上場企業)で世界トップクラスの実績を誇ります。
専門家の視点:
これら三国の違いは、分断要因ではなく「相互補完」として機能しています。リトアニアが外交的突破力を、エストニアがデジタル技術を、ラトビアが物流インフラを担うことで、三国は単独では成し得ないプレゼンスをEUおよびNATO内で発揮しているのです。
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